副川神社(八郎潟町浦大町字小坂)嶽六所神社(大仙市神宮寺字落貝)

2017年03月23日

八幡神社(大仙市神宮寺字神宮寺)

八幡神社。

神宮寺嶽の麓、雄物川の北岸に鎮座。

式内社 副川神社の論社。



アクセス

大曲駅付近から国道13号を秋田方面へ。

玉川を渡った先で左折、県道30号へ。

そのまま2km弱直進すると神社裏手に着きます。

ここらから境内に入れるはず。

特に駐車場はありませんが、上記の場所から入った境内のスペースに停められます。

追記:2017年に再訪した際は上記箇所の門が閉じていました。

このような場合、どこか離れた場所に停めるしかなさそうです(県道沿いは停められないと思います)。

境内

社頭

社号標

大仙市指定文化財

八幡神社祭典旗背負い

毎年9月15日の八幡神社祭典で行われている。長さ約9mの竹竿に「八幡宮」と染め抜かれた旗を取り付け、石を詰めたカマス6袋とともに体に括りつけ、町内を一巡して神社へ向かう。この地域に流行した疫病を祓うために、村の中の屈強な若者を選んで重いものを背負ってもらい、苦難を背負うということで疫病から逃れるために始まったと伝えられ、県内でも珍しい民俗行事である。

大仙市指定文化財

八幡神社棟札

八幡大菩薩大籏

八幡神社棟札…棟札は、棟上げの際に工事の由緒や建築の年月、施主や工匠名などを記して棟木に打ち付けた木札のことである。八幡神社(神宮寺地区)の3枚の棟札は、それぞれ正応3年(1290)・元応元年(1319)・長享3年(1489)のものとされ、地域の支配関係や神社の建築の変遷などを探る上で貴重である。

おそらく標柱の反対側に八幡大菩薩大籏の解説があるはず。見落としました。

大仙市指定文化財

十二天画像

七僧画像

十二天画像…12の護世天といわれ、昔、神宮密寺では正月27日から28日まで不動護摩修法の時に仏殿へかけ、供物や燈明を供えた。製作年代等は判然としないが、この八幡神社(神宮寺地区)のものは脇侍がなく主尊のみの立像で、京都の八幡山東寺(教王護国寺)の絹本著色十二天像(国宝)の形式と類似した珍しいものである。

これも反対側に七僧画像の解説があるはず。

参道

狛犬

鳥居

扁額

手水舎

社殿

拝殿

拝殿の彫刻

拝殿と本殿

本殿

境内社

玄松子の記憶さんによれば、境内の東側に祠や石碑を集めた場所があるとのことですが、参拝時には気付きませんでした。

追記:2017年再訪し境内社を確認しました。

境内社

聖徳皇太子碑

稲倉䰟尊碑と三吉神社講中碑

境内社

龍神碑

大正6年大漁記念碑

境内社

境内社

境内社

秋田県神社庁のサイトによれば、境内社は神明社・天神社・稲荷社・市杵島神社があるようです。

どれがどれかはわからず。(そもそも実際は5社ある…)

由緒

八幡神社は大同2年(806)坂上田村麿呂が建立したといわれている。現在の本殿は寛永3年(1706)に建てられたが、拝殿は明治12年に改築されたものである。応神天皇と火具土神を祀り、棟札をはじめ数点の宝物が町の文化財に指定されている。平成元年に社殿改修奉賛会が設立され神社の改修工事が施工された。

創建は大同2年(806)。

坂上田村麻呂が男鹿の寒風山に住む大猛丸退治の際、当地・神宮寺にて兵を募り、戦勝祈願。退治の後、字隠里という所に神社建立。永久社守として6人を付置き、現在もその家は続いているといいます。

延久3年(1071)源義家再建の棟札あり。

寛治3年(1089)源義家奥羽征伐の帰陣の際多数奉納。

建久3年(1192)源頼朝の再建棟札あり。

観応元年(1350)戸沢氏による再建。

安永年間(1772-80)に大洪水にて川欠け。

天明元年(1781)新たに社地を拝領、現在地に遷座。

…つまり当初の鎮座地、字隠里は現社地とは別の場所ということになりますが、その場所は不明。

明治4年郷社に列格。

明治14年県社に列格。

現在、八郎潟町の高岳山に鎮座する副川神社は、当初は神宮寺岳に鎮座していたとされます。

当社はその里宮だと見られています。

御朱印

御朱印の有無は不明。


神社概要

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
通称神宮寺八幡神社
住所秋田県大仙市神宮寺字神宮寺33
祭神保牟田和気命
加句槌命
社格等式内社 出羽国山本郡 副川神社
旧県社
御朱印不明
駐車場境内駐車可


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momijiaoi_ at 20:00│Comments(0)秋田の神社 

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