比治山神社(広島市南区比治山町)邇保姫神社(広島市南区西本浦町)

2017年08月14日

広島護國神社(広島市中区基町)

広島護國神社。

広島城址公園の一角に鎮座。

旧内務大臣指定護国神社で、現在は別表神社に指定されている神社。



アクセス

広島駅南口の駅前大橋南詰交差点を西へ。

ここの交差点で右折して、300m弱行くと左手に鳥居があります。

鳥居前で守衛さんに神社参拝の旨を伝えそのまま神社まで行くと社務所前に駐車場あり。

ただ、参拝者専用の駐車場なので、広島城や原爆ドームにも行かれる方は付近の優良駐車場を利用するのがよいと思います。

城址公園のすぐ南にあるテニスコート地下の市営駐車場など、多数あり。

境内

城址公園入口、中国放送本社横に立つ鳥居

この鳥居は戦前、当社が旧広島市民球場付近にあった頃から存在し、原爆投下時にも倒壊しませんでした(爆心直下に近く真上から爆風を受けたため、だそうです)。

戦後(おそらく神社の移転再建に伴って)、ここに移されました。

扁額

社号標

境内入口の鳥居

扁額

社号標

参道左手には駐車場入口

手水舎

青銅の狛犬

大鳥居と同じく、この狛犬も原爆に耐えたそうです。

狛犬

この狛犬もやはり、原爆に耐えたようです。

社殿前の双鯉の像

意味:二尾の鯉が寄り添って泳ぐ姿から、家内安全や夫婦円満、恋愛成就などを意味する。(鯉の脇に置かれていた由緒書?より)

同じく社殿前の昇鯉の像

意味:滝を登る鯉の姿から、登竜門の故事にもあるように、難関突破や目標達成、開運出世などを意味する。(同上)

この鯉の銅像一対は創建130年記念事業の竣功を記念して建立されたもの。

広島県広島市西区己斐の旭山神社の伝承として、神功皇后が立ち寄った際に県主が鯉を献上したところ喜ばれ、その辺りは鯉村と呼ばれるようになり、後に己斐に転じたという話があります。

広島城の別名、鯉城の由来とも言われています(広島城付近一帯はかつて己斐浦と呼ばれており、これは上記の鯉=己斐に由来。己斐→鯉と先祖帰り)。

鯉城は広島東洋カープ命名の由来の一つともなっています。

そういった理由から鯉の銅像が建てられたとのことです。

社殿

社殿全景

拝殿

扁額

本殿

広島大本営跡

広島大本営跡

広島大本営跡

明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ、ここに大本営が設けられた。

明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。

由緒

明治元年(1868)、戊辰戦争戦没者を大須賀双葉ノ里に祀り、水草神社と称したのが始まり。

明治8年(1875)官祭招魂社となり、明治34年(1901)官祭広島招魂社と改称。

昭和9年(1934)広島西練兵場(旧広島市民球場辺り)の西端(広島市青少年センターの辺り?)に遷座。

昭和14年(1939)内務省告示を以って広島護国神社と改称。

昭和20年(1945)原子爆弾により社殿焼失。

昭和22年(1947)仮社殿(小祠)建立、広島神社と改称。

その後、広島市の復興に伴い移転を余儀なくされ、復興奉賛会結成。

昭和27年(1952)広島城跡に社地選定。

昭和31年(1956)社殿建立、遷座。

昭和35年(1960)広島護国神社へ復称。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。

鯉があしらわれています。赤と青の二色あり。

31_広島護国神社

私は赤い方を選びました。

なおこれ以外にも巫女さんイラストver.もあり(ピンク色、裏表紙はやっぱり鯉)。

どっちも割と新しいみたいですね。


神社概要

社名広島護國神社(ひろしまごこくじんじゃ)
旧称水草霊社
官祭広島招魂社
広島神社
住所広島県広島市中区基町21-2
祭神広島県出身の英霊92000余柱(原爆による公務犠牲者10000柱余を含む)
社格等旧内務大臣指定護国神社
別表神社
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttps://www.h-gokoku.or.jp


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